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現在の私たちは、高度に最適化されたアルゴリズムによって、自分の嗜好にぴったり合う映画やコンテンツを瞬時にレコメンドされる時代を生きています。それは確かに便利で効率的ですが、ふと昔の映画館にあった「不自由さ」や「想定外の出会い」がひどく懐かしくなることがあります。
今回は、かつての映画館が持っていた独特の空気感と、現在の洋画配給事情について、個人的な記憶を辿りながら書き留めておきたいと思います。
予定調和を破壊する「2本立て興行」の洗礼
昔の映画館では、たまに『少林寺』や『レイダース/失われたアーク』のような特大ヒット作が一本立てで上映されることもありましたが、基本的には「2本立て(二本立て興行)」が普通でした。
この2本立てシステムが生み出す最大の恩恵であり悲劇は、「自分の目的とは違う映画に強制的に出会わされる」という点にあります。私にとって最も強烈な記憶として刻まれているのは、『遊星からの物体X』と『初体験リッチモンドハイ』の同時上映です。
当時、私は『初体験リッチモンドハイ』で見た若きショーン・ペンの姿に衝撃を受け、彼の真似をして財布を持たず、支払いの時は直接ポケットから現金を取り出して生活するほどにかぶれていました。
しかし、この日の映画館で起きた本当のドラマは、客席にありました。 前の席には、おそらく青春映画『初体験~』を目当てにやってきたのであろうカップルが座っていました。上映が始まり、ヴァンゲリス風の雄大な音楽と共に雪原を走る犬が映し出される。そこまでは『南極物語』のようなハートウォーミングな雰囲気すら漂っており、彼らも穏やかにスクリーンを眺めていました。
ところが、ノルウェー基地から逃げてきたその犬が「変異」した瞬間、状況は一変します。 スクリーンから溢れ出す、ジョン・カーペンター監督特有のおぞましいクリーチャーと異常な緊張感。耐えきれなくなったカップルたちは、ぞろぞろとざわつきながら席を立ち、退場していきました。後には少数の熱心なカーペンターファンだけが残されるという、シュールで残酷な空間の出来上がりです。
かく言う私も、映画鑑賞直後に「ミートスパゲッティ」を食べる気には到底なれませんでした。しかし、この「自分の趣味とは違う、強烈な異物」を強制的に飲み込まされる体験こそが、当時の映画館という空間の醍醐味だったのです。
「マッドマックス」と上映前の音楽が仕掛けたミステリー
もう一つ、今の映画館から失われてしまって残念に思うのが「上映前の音楽」です。
私が『マッドマックス』シリーズに初めて触れたのは『マッドマックス2』からでした。その際、本編が始まる前の薄暗い館内で、ある英語の楽曲が流れていました。荒廃した世界観にぴったり合う熱い歌声。「なるほど、これはパート1のテーマ曲なのだろう」と私は勝手に解釈しました。
しかしその後、『マッドマックス(パート1)』を鑑賞する機会に恵まれ、どこであの曲がかかるのかと耳を澄ませていたものの、映画中一度も流れることはありませんでした。頭の中は「?」でいっぱいです。
しばらく経ってから映画雑誌を読み、驚愕の事実を知ることになります。あの曲は『Rollin' Into The Night』。なんと、日本での映画放映・宣伝のために串田アキラ氏が歌っていた日本オリジナルの楽曲だったのです。
映画本編には一切関係ないにもかかわらず、あの場内で音楽を聴いていた時間も込みで、私の中の「マッドマックス体験」は形成されていました。現在、シネコンの上映前は無機質なCMや予告編のループに取って代わられてしまいましたが、映画館という空間を非日常に染め上げ、サントラ盤の販促にも繋がる「上映前の音楽」の文化が消えてしまったことは、非常に惜しいと感じています。
商業主義の波と、佳作を届けてくれる配給会社への感謝
こうした映画体験を振り返るにつけ、どうしても考えてしまうのが「現在の洋画配給の在り方」です。
かつては「日本ヘラルド映画」をはじめ、数多くの配給会社が世界中から様々な洋画を買い付け、日本のスクリーンに届けてくれていました。しかし現在、大作映画はディズニーやソニーなどのメガスタジオが直接配給を行うようになり、効率と利益が最優先される構造が出来上がっています。
そんな中、小ぶりながらも質の高い「佳作洋画」を配給してくれているのが、木下工務店(キノフィルムズ)などの存在です。 もし彼らが配給してくれていなければ、私は映画館で数々の素晴らしい洋画に出会うことはできなかったでしょう。そう気づいた時、深い感謝の念が湧き上がると同時に、背筋が寒くなるような危機感を覚えます。
圧倒的な商業主義に陥った大手の配給会社の中に、果たして「真の映画好き」は生き残っているのでしょうか。利益の方程式には乗らないかもしれないけれど、誰かの人生に深く刺さる不器用な映画。それを届けるという文化的な使命感は、どこへ行ってしまったのでしょうか。
効率化され、見たいものだけを見せてくれる現代のシステムは優れています。しかし、時にはあの頃のように、財布を持たずにポケットに現金を突っ込み、予定調和を裏切るような映画との「予期せぬ出会い」を求めてしまう自分がいるのです。













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